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鞆の浦・太田家住宅

鞆の浦は、江戸時代の面影が残り、感じることができる街並みである。

バナー鞆町鞆の渡船のりば〜仙酔島を往復運航する平成いろは丸
鞆の浦は、江戸時代の面影が残り、感じることができる街並みである。
坂本龍馬さんも鞆の浦や常夜燈を、どのように感じ眺めたのだろうか?
「太田家住宅」をはじめとする保命酒(十六種類の薬味を、みりんに浸け込んだ薬味酒)造りが行われていたようで
現在も醸造されている会社があるようです。
鞆港の一角に建つ常夜燈からも150数年前の鞆の浦で生活されていた人々の声や賑わいが聞こえてくるようです。
鞆の浦の常夜燈
方五.三三mの基壇上に建つ 高さ七.五mの花崗岩造りの常夜燈。と案内石柱に記されていた。
古老によると、現在残っている常夜燈は鞆の浦と呉市大崎下島の常夜燈と2つだけだと云う。 
大崎下島は「大長みかん」という名の蜜柑で有名。
常夜燈の周りに三々五々地元の人々が集まって来て、
観光客に鞆の浦の事を話してくれ、和やかな雰囲気が味わえます。
安政六年己未七月と彫り込まれている。
己未(つちのとひつじ、きび)は干支の組合せの56番目
陸地側に向けて金毘羅大権現と刻まれた石額が掲げられている。 寄進西町中
1859年(安政6年) この近くの「西町中」の町衆が
建てた。と案内石柱に記されていた。
海を眺めるように當所祇園宮と刻まれた石額が
掲げられている。
いろは丸展示館
いろは丸であろう沈没船から引き揚げられたものが
展示されている。
坂本龍馬の隠れ部屋も再現されている。
太田家住宅
鞆港そばで、出来上がった商品の保命酒を
船積みして遠くまで運び販売していたのだね。
狭い路地裏に建物が密集しているが、古風さが味あえて
とても良い雰囲気です。
太田家住宅・太田家住宅朝宗亭(ちょうそうてい
鞆七卿落遺跡(ともしちきょうおちいせき
維新の夜明けも近い1863(文久3)年8月18日、
尊皇攘夷を主張する三条実美(さんじょうさねとみ)ら7人の
公家は、公武合体派にに追われ都落ちをしました。
一行は、ここ旧「保命酒屋」に立ち寄り、その時、
三条実美は、保命酒(竹の葉と表現)をたたえる和歌を
残しました。主屋(おもや)の太田家住宅と向かいの
「朝宗亭」は、18世紀中頃〜19世紀初期の建物であり、
共に国の重要文化財に指定されています。
と書かれた案内板があります。 


三条実美の和歌
世にならす 鞆の港の竹の葉を
斯くて嘗むるも
かくてなむるも珍しの世や
杉玉 別名 酒林(さかばやし)と呼ばれている。
造り酒屋で新酒が醸造されると、緑の生き生きとした
杉の葉で杉玉を造り軒先に吊り下げて
新酒ができた事を知らせていたという事を耳にしたことがある
裏通りの壁も頑丈に優美に造られている。
重労働をした後に、優雅なひとときを味わい過ごしていたのであろう。
往時を偲ぶものがある。
襖と引き手
襖絵は金箔で描かれたものや金箔がちりばめられている。
釣り人やツバメが描かれている。襖の引き手は陶器製のものです。
陶器製の引き手は初めて見ました。
  
粉挽きや石臼や足踏み杵の台座が置かれ、昔懐かしく
感じられます。
竈(かまど) 竈(くど)と呼ばれている。
薪を燃やし、保命酒の原材料などを煮詰めていたのかな?
貯蔵がめ
芳醇な良い香りが漂ってくれようだ。
1合〜五合〜1升〜1斗などの升で保命酒を計り売りして
いたのであろう。
保命酒の容器も、時代時代で様々な造形をたどり
外箱などの図柄も人目を引きよせるように変化させ、
お客様のニーズに応えてきたのであろう。
努力、工夫が偲ばれる。
鞆皿山焼の徳利も含まれているのかなぁー。
一歩、中に入ると土蔵やが立ち並び、往時の頃は
進化した工場群であったのだろう。
蔵などの重い頑丈な扉を軽く動かす為に
そろばんに似たローラーの上を扉が滑るように
動くようにと先人の知恵者に驚きです。
地中金庫だったようです。
保命酒の販売権を一手に握り、当時は千両箱が、
たんまりと積まれていたであろう?
中庭は手入れがゆきとどき、素晴らしい庭石も
置かれている。
2006/3/10
鞆・町並みひな祭が開催されていた。
明治四十年桃節句と記されていた。
有職雛 江戸中期の作
葛の蔓、苔を活用し松と赤い実がなるヤブコウジと
オリヅルランが植えられたお雛様の語らい。
御舟宿・御膳処「いろは」いろは丸事件談判跡
旧角屋萬蔵(ウオマン)宅で魚問屋などを営む船宿(問屋)跡と記された石柱が立っている。
2004年5月に行った当時には、坂本龍馬会談の家
この家は慶応三年(一八六七)坂本龍馬らの坐乗せる海援隊いろは丸が紀州家の船「明光丸」と衝突
鞆港へ向けて曳航中、沈没したため紀州藩 高柳楠之助と四月二十二日より四日間、賠償交渉のため
談判の場所となった旧宅です。と記されていた。