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私のフォトホームごらんあれ

古民家-a

古民家住宅は古き良き時代を偲び、温かみを感じさせてくれ心落ち着かせてくれるオーラを持っている。
茅葺屋根の温もり、古木のあじわい、土の香り、囲炉裏の煙の香り、かすかに流れゆくすきま風に里山の
花や木や草草のほのかな香りを微かに感じつつ、ゆっくりと流れゆく時を静かに味わい至福のひと時を過ごす。

 私のフォトホーム     ごらんあれ
鳥飼家住宅 荒木家住宅 旧旙山家住宅 森脇八幡神社 堀江家住宅 沼弥生住居址群
鳥飼家住宅  鳥取県倉吉市関金町関金宿  国道313号線 関金総合運動公園・せきがね湯命館付近
        県民の建物 100選
田植定規
関金都市交流センター内に、神楽絵ぶたが展示されていた。
旧旙山家住宅   三次市三良坂町灰塚 広島県道78号線沿い 宗像神社隣り 
2008/2/16 2012/5/11
ご案内板によると、(国)重要文化財 旧旙山家住宅 一九七八年(昭和五十三年)一月二十一日指定
旙山家住宅の建築年代を示す明確な資料はありませんが、建築手法から十八世紀中頃、江戸時代中期の
建築と考えられます。と記されている。
旙山家住宅ご案内板 旙山家住宅
灰塚ダムの建設により
移築された宗像神社
荒木家住宅   国の重要文化財指定  庄原市比和町森脇  
国道432号 広島県道255号(比婆山公園森脇線)沿い 2012/5/12
天正年間(1573~1591年)に建築されたと伝えられる〈家伝〉が、少なくとも17世紀以前の建築と考えられ、
近世初期の古い農家の特徴をそなえた民家である。桁行20.6m 梁間10.9m 入母屋造で、茅葺き。
柱は大工道具の「ちょうな」で削り出されている。
森脇八幡宮の神宮の家屋(部屋は5つ)で神宮の家の特徴である「たかま」や牛を飼育するための「だや」、
農作業をする「土間」がある。
森脇八幡神社や荒木家住宅周辺には山々が連なり、豊かな田園風景が広がり、ゆったりと
のんびりとした時空間の流れを味わえ癒されます。
田園風景 荒木家住宅ご案内板 荒木家住宅
3枚合成写真です。
2007年に茅葺屋根を葺き替えたようだ。 和紙を貼った窓を風や雨や防ぎ、安全のための板カバーが付けられていた。
壁の骨組みは細い竹を組み合わせ細縄で結び、土に切り藁を混ぜて、こて(鏝)で塗りあげた木舞土塗壁である。 雨戸を片付ける戸袋
屋根の茅葺を支える竹材や丸木を荒縄で締めくくられている。 床下換気も考えて、丸い金網を張った換気口が作られている。
五右衛門風呂釜
五右衛門風呂釜の周りを土やレンガや瓦を使って竈を作り、
煙突を付けて、薪を焚き水を沸かす。
湯の上に浮いている底板に乗って底板を沈めてお湯につかる仕組み。
2013/1/24 雪景色の荒木家住宅 五右衛門風呂釜 昭和30年代までは、よく使われていたようだ。
森脇八幡神社  庄原市比和町森脇  荒木家住宅から少し東に位置している。  2012/5/12
神聖域の入口である明神鳥居(楔は無いが)の前には大きな灯篭が建立されている。 神社山門の右手前に手水舎と手水鉢ある。
イチイ(櫟)  イチイ科イチイ属  樹齢 推定200年 樹高 約13m 幹周 2.2m
鳥居を挟んでイチイが植栽され、左手のイチイは、段造りに剪定がされている。
随身門は杉の大木などがあり、森脇八幡神社の社叢の素晴らしさを
物語っている。
随身門前の大スギの木
神門(随神門)には狛犬の阿形、吽形と矢を持った武官(随身)の阿形、吽形が安置されています。
参道から隋神門までに石段16段あり、随身門を通り抜けると、参道の急な石段104段ほど登ると
境内広場にたどり着く。
随神門の左側に狛犬の阿形と武官の吽形像
随神門の右側に武官の阿形像と狛犬の吽形
石段上からの随身門 随身門から鳥居方面を見る 随身門を奉獻された方の名前が刻まれている石碑がある。
石段を上がってくると拝殿が見えてきました。
石段を登り切って左右に昭和九年十月十七日建立の一対の狛犬が安置している。 
狛犬は魔除け、守護として安置されている。台座には奉獻と彫刻されている。
境内左側に、立派な台座の上に狛犬の吽形
境内右側に、立派な台座の上に狛犬の阿形
拝殿 拝殿正面
蕪懸魚に波形の鰭が付いている。 左側から見た本殿、幣殿、拝殿 右側から見た拝殿、幣殿、本殿
森脇八幡神社の境内に鎮座している境内社。 大きな杉の木が多数あり、鎮守の森、社叢を形成している。 本殿の鬼瓦(銅板巻)、蕪懸魚、桁隠し
古い本殿の鬼瓦は木製であった。 古い本殿の鬼瓦は木製であった。 大スギの切り株。幹回り3mは越えるだろうか?
堀江家住宅   庄原市高野町中門田  広島県道39号(三次高野線)沿い 2012/5/12
広島県道39号(三次高野線)沿いに立つ「堀江家住宅」への案内標識
国重要文化財 堀江家住宅
指定年月日  昭和41年12月5日
所在地  庄原市高野町中門田257番
現状
員数 1棟
構造及び形式 木造、一重、入母屋造、茅葺、桁行19.8m、梁間10.5m
建物は、東南東向き、柱礎石は野面石、土間は漆喰叩き、軒下の周囲には雨落葛石を廻らす。柱はすべて角柱面取り、土間を除く桁行・梁間とも足固貫、内法貫を通し、開口部厚鴨居付、内部真壁、外部大壁、
上屋梁上に扨首(さす)を立て、合掌組とし屋中・茅持・麻殻・野地とも藁縄で搦め(からめ)、屋根は茅葺、玄関入口は大戸及び腰付障子片引、建物周囲の建具は主として雨戸腰付障子、内部は舞良戸、板戸を建てる。「おもて」は畳6畳敷、その他は拭板敷き、「おもて」は麻殻天井、「まや」及び「おうしまや」は芋殻天井、その他は、小屋裏あらわしである。
平 面 積  側柱内面積 186.00㎡
屋根面積 平葺面積   410.00㎡
堀江氏初代の興一は天正18(1590)年に没したとされ、17世紀後半から18世紀前半の建築と考えられる。
江戸時代中期に古材を利用して建直され、大幅な改造が行われ江戸中期の構造となっている。大部分は創建当時の材が使われ
主要部分は当初の姿を残している。昭和44(1969)年に解体修理が行われ江戸中期の改築の内容が明らかとなり、当時の姿に復された。
  田の字型の間取り以前に見られた広間型(三間)が原型であったと推定される。幕末の嘉永―安政年間の改修で広間型から
  田の字型に変わったものと思われる。内部は「おもて」「みせ」「なんど」「かって」のほかに「くど」のある土間からなり、
  土間の一角に牛馬の駄屋がある内駄屋型式。冬の寒さを防ぎ牛馬とともに生活する雪の多い地方ならではの構造である。
平成22年3月とご案内板に記されている。
堀江家住宅の脇を流れる、せせらぎの清流が鯉が遊泳する池にと
流れ込んでいる。
堀江家住宅の手前右手に錦鯉が、ゆったりと泳ぐ池があり、植木の可憐な花が咲いている。
現在も堀江家住宅は生き生きと生活感が感じられ、タイムスリップしたかのようだ。 
昔々あるところに……なんてと、昔が偲ばれます。
蕗:根元部は赤く、草丈約70cm 葉も広く大きく、茎は中空
この地区では家の周りに植えられ保存食としていると地元の話。
地元のお寺で頂いた蕗です。
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