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肌寒さを感じたこの日、福渡に行った道すがら侍屋敷が
なんとなく気にとまり立ち寄って観ることにしました。
緒方洪庵誕生地 | ||
所在地 旧足守藩侍屋敷遺構 岡山県岡山市北区足守752 |
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2011/2/14 |
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旧足守藩侍屋敷遺構(岡山県指定重要文化財)この侍屋敷は、江戸時代に備中国(現在の岡山県西半)の南東部で、2万5千石を領有した足守藩の国家老を務めた杉原家の居宅です。家老屋敷のたたずまいをほぼ完全に近い形で伝えていて、この種の武家屋敷としては県下唯一の貴重なものです。足守陣屋町の下惣門から藩主の屋形構までの、主要な道筋である本町通りに面して屋敷を構えています。 |
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表門の長屋門長屋門の内側に、桁行(正面左右の長さ)の長い母屋が町割方位に沿って建ち、母屋の裏手には内蔵と湯殿が離れて設けてあり、内蔵へは廊下がつながり、また母屋の左手(東)脇に米蔵の土蔵を一棟設けています。 |
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表門の長屋門長屋門の内側左手部分は茶室 |
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表門の長屋門長屋門の右手部分は中間部屋 |
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長屋門から見た母屋母屋は桁行12間半(24.5m)、梁間5間(8.99m)の規模であり、屋根が茅葺の寄棟造で総廂(そうひさし)の付く平屋建です。 |
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長屋門から見た母屋母屋は桁行12間半(24.5m)、梁間5間(8.99m)の規模であり、屋根が茅葺の寄棟造で総廂(そうひさし)の付く平屋建です。 |
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玄関の間唐破風の屋根を構えた玄関を設け、家老屋敷として威厳を備えています。玄関の式台をあがると上床つきの8畳の式台の間があり入って右手側奥に大床の付いた二の間13畳の広間となっている。式台の間・二の間・一の間の三間が表向き(公式用)の書院です。式台の間の奥には武家屋敷には必ず設けてある2畳の仏間があり、自刃の場となるこの部屋は柱が逆目となっています。 |
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左 二の間・右 一の間小庭園から見た一の間・二の間・中門付近。 |
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一の間一の間は、二の間の右手に床と付書院を設けた8畳の座敷。 |
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香図組欄間(こうずくみらんま)左 二の間と右 一の間の境の鴨居の上に珍しい香図組欄間を入れ、天井が高くすべて竿縁天井であり、外側に縁をめぐらせていて、質素なうちに格式のある武家造りの建構えになっています。 |
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旧足守藩侍屋敷遺構配置図長屋門から見た図です。 |
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土 間土間には、食品を保存していた「蝿入らず」やかまどがある。 |
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土間の茅葺屋根の裏屋根の裏側は竹や丸材を藁縄で編み組んだ構造になっている。 |
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旧木下権之助屋敷表門(北木門) 表側岡山市指定重要文化財 平成14年4月10日指定 |
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旧木下権之助屋敷表門(北木門) 裏側⇒この長屋門は屋敷の表門として弘化3年(1846)に再建されたもので、明治維新後に一帯が足守小学校になった後も正門として使われていました。昭和16年の小学校改築に伴い校庭の南東隅に移築され、現在は倉庫として使われています。建物の骨格を良好に残しており、正面外部の物見窓や下見板など旧状を保っている、足守藩藩政期の貴重な建物です。と記された説明板がある。 |
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近水園 岡山県指定名勝 昭和34年3月27日指定旧足守藩主木下家の庭園として江戸時代中頃までに作庭された小堀遠州流の池泉回遊式庭園である。足守藩は2万5千石の小藩ではあるが、宮地山の南麓に陣屋・会所などの藩の中枢施設とともに大名庭園としてこの近水園が配されている。 |
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吟風閣⇒池に面して建つ吟風閣は、六代藩主きん定が宝永5年(1708)、京都御所(仙洞御所)を造営したときにその残材をもって建てたといわれる。池に乗り出すように建てられた木造二階建てで、今は銅板葺きであるが元は草葺きであった。数寄屋造りの華奢なたたずまいが水面に影を落とし、情緒をそえている。 |
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吟風閣長く張り出している軒先、縁先を眺めていると心落ち着いた雰囲気が味わえます。 |
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吟風閣からの園池池に乗り出すように張り出している縁先。 |
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吟風閣からの園池足守藩主木下家の居館である屋形構の奥手に設けられている数寄屋造り(茶室風)の建物「吟風閣」の前に広がる御殿山(宮路山)を背景に池泉回遊式の大名庭園は十八世紀初めころに造られたと推定されており、岡山の後楽園、津山の衆楽園と並ぶ名園の大名庭園です。 |
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吟風閣からの園池約5500uの園地の外寄り東外側に流れる足守川から流水を取り入れ園池を設け池内に蓬菜島兼ねた鶴島、亀島の島を浮かせ、自然風景を背景に庭園と見事に調和させ造られている大名庭園である。吟風閣からの庭園の眺めは実に見事なものである。 |
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緒方洪庵誕生地 |